皆さんこんにちは、安田雄輝です。
久しぶりのブログ更新になりました。最近の私は、畑仕事に追われる日々を過ごしています。来月11月から12月にかけては、いよいよタマネギの定植が始まるので、今はその準備を進めながら、畑で育てている野菜たちのお世話をしています。

↑『おふくろ』のひとみさんと種蒔きした極早生タマネギのアリオン

↑早生、中晩生、赤タマネギなど色々苗を育てています。全部定植するので腰が壊れるかも。笑
野菜の事は一旦置いといて、
今回はYouTubeやSNSでの情報発信について、最近の私が感じていることを書いてみようと思います。
YouTubeやInstagramをはじめとしたSNSの運用で、AIを活用した自動化が急速に広がっているように感じます。投稿する文章をAIに考えてもらったり、画像や動画を生成したり、投稿そのものを自動化したり。以前なら人間が時間をかけていたことを、驚くほど短時間でこなせるようになりました。もちろん、こうした技術の進歩は素晴らしいことだと思いますし、私自身もAIを仕事に活用しています。
ただ、その一方で、世の中に広がっている「とにかく早く結果を出すこと」「わかりやすい数字を伸ばすこと」が、あまりにも重視されている風潮には、少し危機感を持っています。再生回数、フォロワー数、チャンネル登録者数、インプレッション数。確かに数字はわかりやすいものです。成果を比較することもできますし、企業がサービスの価値を説明するときにも便利です。でも、その数字は、本当に価値を表しているのでしょうか?
例えば、AIを活用して大量の投稿を作り、短期間でフォロワーを増やせたとします。それ自体は一つの成果かもしれません。けれど、その投稿を見た人は何を感じたのでしょうか。発信している人の考え方や価値観に共感したのでしょうか。それとも、たまたま流れてきた情報を見て、通り過ぎただけなのでしょうか。数字が増えることと、誰かの心に何かが残ることは、必ずしも同じではないと思っています。
AIによる自動化について、もう一つ気になっていることがあります。それは、簡単にできるようになったことほど、誰でも真似出来るということです。例えば、AIを使って短時間で大量の投稿を作れるようになったとします。最初は、それまでより少ない労力で成果を得られるかもしれません。しかし、同じ方法を誰もが使えるようになったらどうでしょうか。今度は、誰がより多く投稿できるか、誰がより早く発信できるか、誰がより効率よく数字を伸ばせるかという競争が始まります。
効率化によって楽になるはずが、いつの間にか、以前よりも激しい競争に自分から飛び込んでいる。そんなことにもなりかねないと思うんです。そして、その競争の中で発信内容まで似通っていけば、最終的には「誰が発信しているのか」というコアな部分さえ重要ではなくなってしまうかもしれません。コストパフォーマンスを高めようとしていたはずなのに、結果として誰でもできることを競い合い、疲弊してしまう。私は、そこに怖さを感じています。あえて面倒くさい事に時間と手間をかける方が、長い目で見ればコストパフォーマンスが良いのではと思っています。簡単には真似できないものを時間をかけて育てていく方が、結果的には効率の良い選択かもしれませんよね。
本来、人にはそれぞれ違った経験があり、考え方があり、物事の感じ方があります。同じ出来事を経験しても、何を面白いと思うか、何に疑問を感じるか、どう受け止めるかは人によって違いますよね。その違いこそが、その人の個性であり、発信する価値になるのではないでしょうか。ところが、効率や正解ばかりを求めてAIに判断を任せていくと、少しずつその違いが薄れていくような気がします。
AIへの過度な依存には、人間がもともと持っている不安も関係しているように思います。間違ったことを言いたくない、できるだけ完璧なものを作りたい、他の人よりも優れていたい、失敗せずに最短距離で結果を出したい。こうした気持ちは誰にでもあると思います。でも、そればかりを追い求めてしまうと、自分が本当は何を考えていたのか、何を伝えたかったのかが、段々わからなくなってしまうのではないでしょうか。
誰かが導き出した正解に合わせることと、自分自身の答えを見つけることは違います。人間は、必ずしも合理的な判断ばかりをするわけではありません。遠回りしたり、失敗したり、時には思い込みで間違った判断をしたりもします。けれど、そうした経験を通して自分なりの考え方が生まれ、価値観が育っていくのだと思います。私は、そういう人間らしい不完全さも含めて、その人の魅力になると思っています。
私はピアノを始めたとき、自分の実力以上の難しい曲に挑戦していく道を選びました。まずは自分の好きな曲を弾いてみたかったんです。実際にYOASOBIの「群青」に挑戦する企画や、いきものがかりの「ありがとう」の演奏など、自分の実力では難しい曲にも取り組んできました。思うように弾けずに苦戦することもたくさんありましたが、挫折や苦戦も含めて楽しんできたと思います。そして、そうした挑戦を重ねるうちにピアノそのものを少しずつ好きになり、同時にその難しさを知り、基礎の重要性を身にしみて感じるようになりました。
人によっては遠回りをしたと思うかもしれません。でも、私にとっては必要な経験でした。実際に挑戦したからこそ気づけたこと、苦戦したからこそ理解できたことがたくさんあります。だからこそ、今では基礎的な教材に取り組むことも苦には感じません。なぜ基礎が大切なのかを、自分自身の経験から納得できているからです。
もし最初から効率を重視して、中途半端に最短ルートを選んでいたらどうだったでしょうか。きっと私は、好きな曲に挑戦したいという気持ちをずっと抱えたまま、どこかモヤモヤしながら練習を続けていたと思います。遠回りに見える経験でも、それが自分にとって必要な過程だったということはあるんです。少なくとも私にとっては、最初に好きなことへ挑戦したからこそ、その後の基礎練習にも意味を見いだせるようになったのだと思っています。
AIが導き出すもっともらしい正解よりも、一人の人間が実際に経験し、悩んで、色々考えた末にたどり着いた言葉の方が、誰かの心に深く届くこともあるはずです。もちろん、AIが提案する考え方から新しい発見を得ることもありますし、それを否定するつもりはありません。ただ、AIが示した答えをそのまま自分の答えにするのではなく、それを自分がどう受け止め、何を考えるのかという過程を大切にしたいと思っています。
以前、どこかの記事で書いた記憶がありますが、私は自分のYouTubeチャンネルを運営するうえで、目先の数字を伸ばすことよりも、視聴者にとっての『見やすさ』を大切にしています。例えば、初めてチャンネルを訪れた人が、今なにをしているのか、どの動画から見ればいいのかわかる様なナンバリング、過去の動画を探しやすいこと。見たい内容に迷わずたどり着けること。そして、動画を見てくれた人が、また見たいと思ったときに戻ってこられること。当たり前のような話ですが、私はこうした小さな積み重ねこそが自分のファンを作り、視聴者を大事にする事だと思っています。
実際、私が30歳から始めたピアノのレッスン動画は月に1回程度の更新ですが、YouTubeチャンネルの登録者数は無事に2,000人を突破しました。更新頻度が高くないにもかかわらず、動画も安定した再生して頂いています。チャンネル登録者が増えることはうれしいですし、多くの人に動画を見てもらえることはありがたいことです。ただ、登録者を増やすためだけに発信しているわけではありません。
自分が面白いと感じたことを発信し、それを面白いと思ってくれる人がいる。その人たちが見たいものを、見やすい形で届けていく。そうした取り組みを続けた結果として、チャンネルが少しずつ成長していくことの方が、私にとっては重要で、健全なことのように感じています。数字は、そうした活動の結果として現れるものです。数字そのものを目的にしてしまうと、いつの間にか、見てくれている人ではなく、数字の方を向いて発信するようになってしまうかもしれません。私はそうはなりたくない。
誤解のないように書いておきたいのですが、データ分析や数字を使った改善を否定しているわけではありません。YouTubeの運用においても、視聴者維持率やクリック率、流入経路などを確認することは大切です。数字を見なければ気づけない課題もありますし、改善につながる発見もあります。ただ、データはあくまでも、起きていることを理解するための材料だと思っています。数字が良いから価値がある、数字が悪いから価値がない、と簡単に決められるものでは無いと思っています。
例えば、再生回数が少なくても、その動画が誰かにとって大きな学びになったり、何かを始めるきっかけになったりすることもあります。反対に、何万回も再生されていたとしても、それを見た人の記憶にはほとんど残らないことだってあるでしょう。どちらが優れているかという単純な話ではなく、自分は誰に、何を届けたいのか。その目的を忘れないことが大切なのだと思います。
企業が営業でわかりやすい数値を示すのも、相手に成果を説明するために合理的なことです。実際に、数字によって納得してもらいやすくなる場面は多いでしょう。しかし、数字で説明しやすいものだけを評価するようになると、数字に表れにくい大切なものを見落としてしまうかもしれません。見栄えの良い数字を並べて満足するのではなく、その数字が何を意味していて、本当に届けたい相手に価値が届いているのかを考えることの方が、よほど重要だと感じています。


私は千葉県の房総で、耕作放棄地を再生して野菜を育てています。種を蒔き、芽が出て、苗が育ち、何か月もかけてようやく収穫できるようになります。もちろん、途中で思いどおりに育たないこともありますし、虫に食べられてしまったり、天候に振り回されたりすることもあります。それでも、自分の手を動かして、少しずつ成功していく事が増えていく過程には、結果だけでは測れない面白さがあります。農業は本当に生きるのに大事な事を教えてくれます。
ピアノも同じです。昨日まで弾けなかったところが、練習を重ねて少しずつ弾けるようになる。その過程で感じたことや、うまくいかなかった経験も含めて、自分だけのものになっていきます。私は、情報発信もそれと似ていると思っています。自分自身が経験したことや、その中で考えたことを誰かに伝える。その内容が必ずしも正解である必要はないですし、誰かよりも優れている必要もないと思うんです。
人間が人間である以上、他の人が何を考え、何を感じ、どのように生きているのかに興味を持つことは、これからも変わらないのではないでしょうか。むしろ、AIで誰もが整った文章や映像を簡単に作れるようになるからこそ、その人にしか語れない経験や、その人自身の言葉の価値は、今後ますます大きくなっていくように感じます。
私が言いたいのは、AIを使わないことに価値があるという話ではありません。AIを活用していても、最後に何を選び、何を伝え、何を大切にするのかを自分自身で決めていること。そこが重要なのだと思います。便利な技術は、これからも積極的に使っていきたいです。でも、自分の考え方や価値観まで、便利だからという理由で任せきりにしてしまいたくはありません。効率化することと、自分らしさを失うことは、本来別の話のはずです。
他の人より早く結果を出すことや、誰かと同じ正解にたどり着くことばかりを目指すのではなく、自分が面白いと思うことを、自分なりの方法で続けていきたい。そして、その過程で生まれた考え方や経験を、興味を持ってくれる人たちに届けていきたいと思っています。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
それでは、また別の記事でお会いしましょう!バイバイ(´・ω・`)











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