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コロナで3年以上親族に会えず、認知症が進んでいるお婆ちゃんに会いに行った話

島根県に行ってきました。
夜行バスで片道12時間、出雲市駅に着いて、そこから更に特急に乗り西へ進む。
僕が最後に、おじいちゃん、おばあちゃんに会ったのは大学生の時でした。
おばあちゃんは『特別養護老人ホーム』に入居している状態である。
おじいちゃんは1人で今も家に暮らしている。

不安な胸中

おばあちゃんは認知症になっていて、以前の様に話せないという事は聞いていた。僕は救急隊、在宅診療所勤務などを経験していたため、なんとなく状態の想像は出来た。

それでも約10年という月日は長く、母の実家に行く道程で若干の不安はあった。そもそも、それほど頻繁に会って居なかったので、身内という感覚は正直あまり無かった。

今回は僕1人で行ったのではなく、母と一緒に島根県に向かった。
母の実家の最寄り駅に付き、レンタカーを借りてようやく到着することが出来た。

母の実家に着いて

母の実家に着くと、おじいちゃんが迎えてくれた。以前よりも、歩く歩幅が短いが、それでも歩けているのは安心した。しかし、認知症の初期症状はおじいちゃんにも現れていた。

家の中は書類が沢山あるが、それでも整理されていて、独居で暮らしていて今の所は大きな問題は無さそうである。それでも要介護認定の取得手続きを母が手配した。

母の実家の電話機の近くに古い小さな黒板がある。そこには『安田雄輝』と大きく書かれている。それを見て少し胸が痛む気持ちであった。

おばあちゃんがどれほど孫に会いたかったのか、その気持を知る方法はもう無い。もっと元気で話せる時に、会っておくべきでは無かったのか、色々な感情が胸に渦巻いていた。

人はいつか死ぬものだし、それが当たり前である。そういう冷たい気持ちで居ることが多かった自分にとって、まだ人としての心があるのかと自分に対しても困惑していた。

おばあちゃんの居る特別養護老人ホームへ

母、おじいちゃんを連れて、僕の運転する車で特養に向かった。新型コロナの影響もあり、身内であっても面会謝絶であった。島根県の医療体制は都会よりも弱いためコロナの警戒感が強い。

少なくとも3年以上おじいちゃんですら妻に会えなかったのだ。なぜ今回、面会が許されたのかという背景に『看取り』の可能性があることが影響している。

おばあちゃんの認知症が進み、寝ていることが多く、食事も食べられなくなってきているという事で、母が施設長から連絡を受けて今回の訪問が実現した。

本当に看取りが近い場合は、主治医から直接連絡が来ると思っていたので、少しは時間の猶予があるのではないか。そう思いながら半信半疑で車を走らせた。

僕は手荷物として、ビデオカメラを1台持っていった。

ベランダから室内へ

特養に到着すると、施設長が出迎えてくれた。小部屋に通されて、現在のおばあちゃんの状態について説明を受ける。とにかく施設長が話すこと話すこと。

話の9割は施設長が話していて、母、おじいちゃん、僕の3人は聞き手にまわっていた。この時点で、施設長はとても家族に会いたかったのだろうと察した。

色々と介護などをしていく上で、遠方の家族と中々話す機会が無かったので、施設長の方が不安が強かったのかもしれない。とにかく、まずは施設長の話を傾聴する姿勢で居ることにした。

一通りの話が終わり、ついにおばあちゃんの部屋に入る。僕はビデオカメラの録画を開始して、母、おじいちゃんの姿の撮影を開始した。

おもいで写真」という映画を見たことがあって、それのビデオカメラ版を作ろうと思った。遺影の写真を、カメラマンの女の子が地域の人のところを回って撮影していく映画である。

おばあちゃんの部屋へ入室

施設長の案内で、コロナ対策のため他の入居者と合わないようにベランダから入室した。そこにはベッドで横になって寝ているおばあちゃんが居た。

母、おじいちゃん、僕の順番で入室した。おばあちゃんは、呼びかけに反応鈍く、開眼もしなかった。それでも、声をかけ続けると目を開けて、こちらの問いかけに返事をした。

僕はずっとビデオカメラを片手に記録を続けた。次、島根県に訪れる時は看取りの時かもしれない。だからこそ、この瞬間を記録しておくべきという強い想いがあった。

最初は平常心でカメラを回していた僕であったが、次の母の言葉で頬を伝うものが出てきてしまった。

母『寂しかったよね。』

母の実家の黒板の文字が思い出される。夫にも、娘にも、孫にも長い間会えなくて、おばあちゃんは何を思っていたのか。それでも、今この瞬間に会えたことを孫として喜ぶべきなのだろう。

どちらかというと、申し訳ない気持ちでもあった。社会人になって、日々の仕事に忙殺されて、長期休みも難しく、なかなか会いに行かなかった事は悔やむべきであろう。

おばあちゃんの手に触れると、手はとても冷たった。橈骨動脈でしっかりと脈を感じるので、生きているのは間違いなかった。

どこで死にたいか本人の意思を問う

母、おじいちゃんの問いかけに反応は鈍かったが、声掛けの方法があまり上手く無さそうだったので、途中から耳元で僕が色々問いかけた。

最後の死に場所について、しっかり決めていく必要ある。そうでないと、急変時に病院へ搬送されてフルコースの救命処置なってしまう。そうすると、本人の尊厳とか色々問題がある。

僕はおばあちゃんが病院嫌いという情報を得ていたので、病院が嫌いか、特養に居続けたいかなどを聴いた。そうすると、しっかりした返事で病院は嫌で、特養に居たいという意思を示した。

施設などから、『ご家族さん達で最後どこで看取るのか決めて欲しい』という旨の説明があるが、最後どこで死ぬのか、その決断で一番大事なのは本人の意思である。

今回、そこの部分を決めないといけないだろうと察していたので、本人の意思を聴取する事が必要だった。それが出来た事が僕の大きな役割だっただろう。

医療関係の仕事を辞めて、今は動画の仕事をしているが、今まで仕事で経験して来た事はこの日のためにあったのかもしれない。

最終的に施設看取り方針で行く事になった。おばあちゃんの意思をしっかりと確認する機会をつくれたので、千葉から島根に遠征した意味があったと思う。

幸せのかたち

施設を後にして、車を運転していると、本当に島根県の山奥で何も無い所だけど、落ち着いていて最後を過ごすには良い環境だなという気持ちがあった。

おばあちゃんの部屋に居る時、僕はベランダから外の様子を眺めたりした。外の景色を見ながら、おばあちゃんは日々何を考えて過ごしていたのか、そういう事に思いを巡らせた。

毎日を一生懸命に生きているか?
人を幸せにすることが出来ているのか?
自分の人生を精一杯楽しめているのか?

今自分がやっているYouTubeは本当に楽しくやっているし、これからの事業も成功させて行きたい気持ちが強い。世間から見たら破天荒だけど楽しい人生を歩んでいます。

おじいちゃんの家の仏壇に線香をあげて、先祖に伝えたのは『破天荒かもしれないけど、人生生きてて楽しいです。』という事だった。

先祖からすると、もっと安定して生きていけとか色々叱られそうだけど、それでも僕は本気でYouTubeや動画制作で人の役に立つ事ができればと思ってます。

という訳で、僕が島根県に行っていたお話でした。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

ABOUT US
安田 雄輝
「YouTubeコンサル・動画制作」をしています。/※経歴:消防(救急救命士)➡在宅診療所➡献血供給事業団➡YouTubeクリエイター/大人からピアノを始めチャンネル登録者1000人/夢は子供がやりたい事を経験出来る場所を沢山つくること